第19回「24時間リレーマラソン」 in HIEZU
色々書きましたが、米子に行っていたのは、あくまでも
第19回「24時間リレーマラソン」 in HIEZU
に参加するためです笑
私は2年ぶり、2度目の参加となります。
会場の鳥取県
日吉津村(ひえづと読みます)についてはリンク先wikiをご覧下さい。人口たった3000人の村です。
温泉で有名な米子の皆生温泉の隣に位置しています。
皆生温泉といえば、
トライアスロンの聖地。
トライアスロンとは・・・
1977年、ハワイの海兵隊員達が宴会の席で、「マラソン、遠泳、サイクルロードレースのどれが最も過酷か」と議論。競技特性が全て違うのだから比較のしようがなく、「この際まとめてやってみよう」という事で考え出された。翌1978年に、ハワイで最初の主要な大会であるアイアンマン・トライアスロンが行われた。(これも
wikiより)
この世界で初めて実施された
トライアスロンが、たった3年後には日本でも皆生温泉において第一回大会が行われたそうです。
⇒『1981年8月20日午前7時、国内初のトライアスロンは風光明媚な皆生温泉海岸を舞台に、女子2名を含むわずか53名の選手の力強い泳ぎで幕を開けました。 事の起こりは、さかのぼる半年前「皆生温泉開発60周年記念事業の企画会議」にて「海を生かせるもの、健康イメージがアピールできるもの」 さらに「どうせやるなら、日本で一度もやっていないスポーツ」などのテ ーマで検討がされました。
当時の旅館組合青年部は選手に負けないチャレ ンジャーでした。 「ハワイでトライなんとかと言う新しいスポ―ツを始めたそうだ。一人 が3種目を続けて行うスポーツらしい。」一人の旅館の主人の言葉をきっか けにスタッフが情報を求めて飛び交いました。
人づてに、熊本の永谷誠 一氏と故・堤貞一郎氏がハワイ大会にチャレンジされたと聞き、両氏を訪 ね懇切丁寧なアドバイスを受け一同の決心がつきました。
さらに入手し たハワイ大会のマニュアルの翻訳、数十回に渡るコースの検討などが繰り 返され、総距離100Kmに及ぶ熱く長いドラマの舞台が出来上がったのです。 』
第30回全日本トライアスロン皆生大会ホームページより引用
地域資源を掘り起こし、地域の魅力を発信していくという、まさにこれぞ元祖まちづくり
このような歴史ある地のすぐ隣で行われているのが、超過酷な
24時間リレーマラソンin HIEZUなのです。
ちなみに、公式ホームページによれば、今回の参加者は544名だそうで、過去最高とのこと。
まずは日吉津の地名の起こり・・・
注釈
日吉津は、「稗津」と書くのが本当であろうが、この字を嫌って日吉津と変更した。
昔から、このあたりは稗の多い場所にあった為、稗と書き、津はここが海岸沿いであったことによる。
日吉津村海浜運動公園がメイン会場であり、そこを拠点に周囲の海岸沿いなど1周2100mのコースを24時間で何週走れるのかというマラソンレースです。個人での参加でも可能ですし、チームでの参加も可能です。
私は母及びその友人ら6名のチームに所属して参加しました。
過去18回の大会結果を踏まえ、今年からできた番付表・・・
屈強な男性陣に混じり、ついこないだ61歳になったオカンの名前があるじゃないですか・・(驚)
これが、スタートから24時間をカウントダウンしてくれるタイマー。
スタート地点。
ゆるきゃらが応援に来ています。
とっ
とりの牛(
も~)で
とりモーといいます。
「カンカンカンバンサンカン 焼肉焼いても家焼くな」にしか見えないのは、私だけでしょうか・・・?
ここはゆるきゃらまつりなのか・・・。
あなたたちは断じてゆるくない・・・。
うぉっっと・・・どこかで見かけた顔のお方が。
腰が低い方ですね、好感が持てます。
有権者との記念撮影にもにこやかに応えておられました。
いよいよスタートが近づきます。
正午の時報とともに24時間マラソンがスタートしました!
私も第一走者です。一周目はコースを撮影しながら走ります。
スタートして、すぐに海岸線沿いにでます。
海を見ながらのランニングは気持ち良いですよ。
この方もランナーとして参加されていたようです。
体当たりの活動ご苦労様です。
またもや、大物発見。
しばらく行くと、海岸を離れます。
今度は田んぼの中を走ります。
海浜運動公園に戻ってきました。
この公園で折り返し、また海岸へと戻っていきます。
皆さんテントを設営したり、バーベキューの用意をしたりで、アウトドア好きはマラソンよりこちらを楽しむんでしょうね~。
こういうボードが設置されていて、3時間ごとに順位が発表され盛り上がります。
会場内に整体のプロもスタンバイしてくれています。
うぉっと・・・。
様々な催し物も企画されていて、恒例のゴスペルコンサートや
カニ汁振る舞い
夜は本当に冷えるので、焚き火。
こうして、あっという間に夜は更け、時間は過ぎていきます。
もちろん、夜も走り続けるランナーのために会場内のあちこちに
このような巨大な投光機が10数台用意されています。
このリレーマラソンで私が素晴らしいと感じるのは、全てを有志(ボランティア)のみで開催されていることです。
近年かなり苦戦されているのは、ホームページから想像できますが・・・⇒
議事録
「来年の20回大会までは石にかじりついてでもやろう!でもそれ以降はわからない」
などといわず、こんな素晴らしい大会をいつまででも続けてください。お願いします。
確かに参加する側は気楽でも、運営する側の苦労はとてつもないものでしょう。
でも、近隣にも似たようなマラソン大会がありながら、わざわざ京都くんだりからマイクロバスを貸し切って20名で来るような団体がいるのは、それだけこの
日吉津という地に魅力があるからに違いありません。
私は現在滋賀県在住ですが、
どこに住んでいようとこの日だけは、これからもずっと日吉津を訪れたいという強い思いを持っています。
『会議でもスタッフからいろいろ提案は出てくるのですが、言う者は多く、実践する者はいません。実践する者がいない以上、大会を続ける事は出来ません。』
どこのイベントも同じだなぁとしみじみ感じました。来年以降は、是非運営のお手伝いをさせていただきたいと思います!
なぜか運営スタッフさんに語りかけてしまいましたが・・・取り直して
残り7時間を切りました(つまり朝5時過ぎ)
波止場に朝が訪れています。
この瞬間に立ち会えただけでも、遠いこの地に足を運んだ価値があったと思わず涙が出そうになった瞬間でした・・・。
この後、事故等もなく、無事レースは終わりました。
ちなみに私自身の記録は18周(37.8km)
前回参加時の15周を越えたので満足ですが、フルマラソンにも届かないなんて・・・泣
鍛えなおして出直します。
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