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Posted by 滋賀咲くブログ at

2016年01月08日

勝部の火まつり(松明祭)

新年あけましておめでとうございます。
本年も宜しくお願い致します。
みらいもりやま21は2008年9月の創立から既に8年目に突入し、
私めも、2009年5月の入社から、もうまもなく丸7年を迎えようとしております。
「丸くなった丸くなった」と会う方会う方がおっしゃるので、
今年の目標は「体重を少しばかり減らす努力をする」と決めた石上です。

火まつり当日の詳細を知りたい方はこちら→2014年1月10日の記事


さて気付けば、もう1月8日。明日は恒例の「勝部の火まつり」です。
このブログにも書いています(2015年7月22日の記事)ように、昨年から京都新聞滋賀版に掲載されるコラム「よし笛」を執筆させていただいております。
6~8名が順番に2週間に1回というペースで執筆しているので、回ってくるのは3ヶ月に1回ほど。
大変有難いことに細かい制限もなく、テーマは「滋賀」に関わることであれば自分で自由に決めていいのです。
1回目の7月は「まちづくり会社」について書かせていただき、2回目の10月は「バルイベント」について書かせていただきました。
で、このコラムの話が来たときから、いつか「勝部の火まつり」については絶対書きたいと考えていました。

今回の掲載タイミングが、なんと1月3日ということでこれはピッタリ!
と、火まつりについて書かせてもらいました。


京都新聞取ってない方の為に、下記に転載しときます。


激しく炎が燃え盛る中、20年間の思い出が走馬灯の如く駆け巡り、終わってしまうことへの寂しさと、やり切ったという達成感がないまぜになり、その年で卒業の世代が男泣きする。それを見た下の世代もまた涙する。これほどの期間、一つの目的に仲間たちと向かい、感動を共有できることなど長い人生においてもそうはない。縁あって昨年まで6年に渡って参加した火まつりは、私にかけがえのない思い出と、一生大切にしたい家族ともいえる仲間を与えてくれた。
「勝部の火まつり(松明祭)」は、守山市勝部出身、あるいは在住の13歳から34歳の男性有志で構成される「松明組」という組織により執行されている。ピーク時には150名ほどだったメンバーも現在は70名程度。資金集め、材料集め、松明作りなど祭りの全てを、このメンバーが中心となり1年をかけて準備する。幹部クラスになると、ほぼ毎週末をその作業に充てるほどの仕事量である。その集大成として、毎年1月第2土曜日の火まつりがある。本番当日のみ、褌姿で集合して松明を燃やすだけのまつりでは断じてない。準備の苦労も分かち合って当日を迎えるからこそ、感動に繋がるのだ。
学校や仕事が忙しくて準備に参加できなくなり、離脱してしまったメンバーも少なくない。年々、人数も資金も減少し、一人一人の負担は増大し続けている。それでも、このまつりが継続できているのは、伝統に縛られ過ぎず、次々と時代に合わせて改革を断行してきたからだ。また一方で、若者たちを理解し支えようという周囲の人たちがあってのことだ。その背景には勝部というまち、そしてそこに住む人々が持つ独特の包容力があると、移り住んできた私は感じている。その包容力によって、生み出される伝統と革新の絶妙なバランスこそが、このまつりの魅力の一つでもあるのだ。
炎だけでなく、彼らの努力にも思いを巡らせながら、まつりをご覧いただきたい。今年も松明の炎の向こうに、その炎以上に熱い男たちの涙が流れることは間違いない。


毎回そうですが、今回は特に800字という字数制限が苦しかったです。
書いてるうちに色々思い出して、少し涙ぐんだりして・・・。
読んでくださった先輩方の何名かが、絶賛してくださったのが何より嬉しくて。

毎年終わってからは新聞に載るのですが、こうやって事前に取り上げられたのは嬉しい限りで。
しかも今日も京都新聞に!!

2人とも勝部で大変お世話になっている方で、本当に嬉しいです。ありがとう、田代さん。



明日、火まつりは本祭を迎えるのですが、私は昨年、松明組卒業となりまして今年は世話方として参加させていただきます。
2010年に初めて参加させていただいて以来、今回が7度目の参加。
初めて褌でない恰好で、少し冷静に祭りを見れると思うとそれだけで胸が高鳴ります。

思えば2010年1月9日・・・2週間前に松明組に入会させていただいてばかりだった私は、様々な不安感により、始まる前から多量にアルコールを摂取した結果、泥酔状態で本祭を迎え、多くの方に多大なご迷惑をおかけしてしまいました。自分ではほとんど記憶がないほどの失態で、ここでは書けないようなことまでしでかしました。
もし今の私が、6年前の私を目の前にすれば容赦なく、その辺のどぶ川に突き落とすことでしょう。冗談でも大袈裟でもなく、それほどのことをしでかしてしまったのです。後から自分の様子を聞いて、「伝統を穢すとんでもないことをしてしまった。謝って済むことではない。」と心の底から思いました。そんな私を先輩方や組のみんなは非難することも突き放すこともなかったのです。
だからこそ、言葉ではなく、なんとか行動でお返ししたい。組に少しでも貢献したい。
そんな気持ちでスタートした、松明組員としての活動でした。

2年目は何事もなく無事終え、3年目には20歳のときに一生に一回しかできない「火受け人」(松明に火を付ける役)もさせていただきました。
4年目に、そんな私が四部副部長の大役。(松明組は一部~四部の四部構成。その上に三役)
そのときの部長が今年の組長。彼へのフォロー役を期待されての任命でした。
なんと5年目にはその年に組長を務める小林哲也さんの指名をいただき、三役の副組長をさせていただきました。
そして6年目の昨年も2年連続副組長として、まつりに参加することができました。

記事にも書きましたが、この6年間、勝部の人々の包容力というか温かさに心を打たれました。
この包容力による伝統と革新の素晴らしいバランス。

ここ何年も、太鼓奉納前、神社前で喧嘩神輿的な儀式が行われています。
先輩方の中には「太鼓には乗るもんじゃない!!」とおっしゃる方、
「若い子らが好きにやればいい」とおっしゃる方、両方いらっしゃいます。
確かに落ちれば大怪我をする可能性がありますし、見た目も厳かな儀式というより、やんちゃな奴らのやんちゃな行為といった感じで、お母様方の受けは良くありません。
「母親に反対されて入会する子どもが減るから危険な行為は慎むべき」というメンバー、
「楽しまなくて何がまつり。好きにやるからこそ楽しい。それで入りたくないという人は入らなければいい」というメンバー、それぞれがいます。

最近つくづく思います。
世の中は白か黒かではありません。
どちらか正しいか正しくないか、決めなくたっていいじゃない。
そんなことを800年言い合いながら続いている、この「勝部の火まつり」に関われたことは、
少なくとも、私にとって一人の人間としての成長の糧になったことは間違いありません。

私の新聞記事やこのブログを読んでくださったあなたに言います。
絶対に損はしないので、ぜひ何らかのかたちで「勝部の火まつり」に関わってください。
そして、いつも応援してくださる地元の皆様、先輩方、そして私が関わるようになってから、ご祈祷料を下さっている地域外の皆様、この場をお借りして心より御礼申し上げます。


関連記事
2014年1月6日の記事
  

Posted by みらいもりやま21 at 11:24Comments(0)松明組

2014年01月10日

2014年勝部の火祭り(松明祭)

おはようございます。
昨日は滋賀県全域で雪が降ったようで、守山市内も至る所で積雪しています。

明日の祭り本番時、暖を取るため燃やす「どんと」。
左側は雪が乗ったブルーシートを外した後。


さて、本年度勝部松明組副組長を拝命しております石上です。
本日は明日に迫った「勝部の火まつり(松明祭)」について、改めて楽しみ方を記したいと思います。
活動していて、つくづく感じるのは守山の住民さんがあまりにも火まつりについて知らなさすぎること。

火がつく瞬間だけのお祭りじゃないですよ・・・ということです。


実は関係者及び祭りを執行している組員すら、細かい進行を理解していない者がほとんどで、今年初めてOBの方が、進行表を作成してくださいました。

細かいことはさておき、我々ふんどし姿の若衆は、明日17時半頃、住吉会館(勝部神社から南へ約100m)前に集合します。
マニアなカメラマンたちにとっては、ここが一番のシャッターチャンスとばかり、若者のお尻を撮りまくっています。
毎年「去年の写真だよ」と渡されるイケメンくんもいたりして、ちょっと・・・だったりします。もちろん男性からです。

そこから全員で神社に参拝し、お神酒をいただき、太鼓巡行が始まります。
これが約2時間あって町内を練り歩くのですが、実は私個人的にはこの瞬間が一番楽しかったりするのです。
なにぶん、ふんどし姿という非日常で、日常空間に割り込む感じがある意味やめられないというか・・・。
少し、ストリーキングや露出狂の気持ちがわかるような気がするのです。

営業中の商店に入り込んだり、駅の階段を上って改札までいってしまったり。
いつも神社の中でしか見ていないという方には、是非この太鼓について歩かれることをお勧めします。
太鼓は1番、2番、3番とあってそれぞれいろんなルートで勝部町内を練り歩きます。
威勢よく「オイサー、オイサー!」と掛け声をあげているので、すぐに見つかると思います。


一応前もって巡行ルートも決めているのですが、守られることはほぼありません。
その太鼓を率いる部長や若衆たち次第です。

で、偶然にもばったり太鼓同士が出会ってしまうとさぁ大変。
そんなルールないのですが、喧嘩太鼓が始まります。
相手の太鼓に体当たりしたり、上に乗ったり、ぶら下がって引き倒そうとしたり・・・。
結構危険な状態なので、周りの世話方と呼ばれるOBの皆さんはヒヤヒヤしておられますが。


特に20時(本来この時刻ですが、ほぼ遅れます)の神社前で太鼓3基が出会って、始まる喧嘩太鼓はおおいに盛り上がります。
このとき、神社付近大変混雑しますので要注意です。
本来、この太鼓は町内の悪い気を集め、神社に粛々と奉納するものであって、盛り上がり方としては間違っているのですが、OBさんたちも関係者も毎年大目に見てくださっています。

そして太鼓の奉納が終わると、いよいよクライマックス。
重さ400kgの大松明が神社前の馬場(道路)に並べられているので、それをかなり酒がまわって力の入らない若衆たちで担ぎ、神社の境内に入れていきます。
近年組員の減少もあり、この見せ所で松明をしっかり担げないという醜態を見せる事象が多発しています・・・。
地元の方はわかると思いますが、昔は今のエルセンターあたりまで大松明を並べていたそうですから、恐ろしい話です。


松明12基が境内に揃えば、いよいよ火受け人と呼ばれるその年20歳になる若衆が松明に点火します。
この瞬間を見ている方が待ち侘びているのはわかるのですが、やっている我々としてはそれで祭りが終わってしまうわけで、極力引き延ばしてやりたいとおもっているのです。

毎年ご覧いただいている方もまた少し違った角度で、松明祭を楽しんでいただければ幸いです。
この記事をご覧になって、私に会いに来て下さる方に連絡です。
ふんどし一丁ですので、祭り中は当然携帯を所持しておりません。
連絡は当日17時までに必ずください。
で、もしどこかで見かけたら大きな声で「おい、石上!」と呼びかけてください。単純にうれしいです。



昨夜は清め式という儀式でした。


彼らは提灯持ちの小学5年6年生。
組員減少に歯止めをかける一つの手段として、
5年前、当時の高田組長の尽力により、松明組に関わるきっかけづくりとして、太鼓巡行を先導する提灯持ちになってもらえないかを勝部子ども会に呼びかけるようになりました。
今年もこの6名が参加してくれます。
やはりこの年齢の子たちが参加するにはご両親の理解が必須で、父親が松明組経験者の子は当然のごとく入ってくれるのですが、そうでない方がなかなか・・・。でも今年も子ども会での呼びかけに答えてくださった2組の親子がいらっしゃってありがたい限りです。

子たちにとっても、ふんどし姿には抵抗があっても、服を着て参加できる提灯持ちは参加しやすいようです。
で、ここで先輩らと仲良くなり、そのまま中学生になって今年、新入組員として入ってくれたのが、下の彼らです。


彼らが20年後松明組卒業のときに「あのとき松明組に入って本当に良かった」と言える環境づくりを心掛けたいと心底思います。

  

Posted by みらいもりやま21 at 11:44Comments(1)松明組

2014年01月06日

2014年1月6日石上

おはようございます。
今日から守山市内も正月明けといった感じで、車の通行量が一気に増えました。
お隣の保育園も本日スタートのようですが、幼稚園と小学校は明日が始業式のようですね。
商工会議所では毎年恒例の新年祝賀会も開催されるようです。

さて、今日は「勝部の火まつり」の話題。
思い起こせば、守山市民新聞2010年新春号に掲載される対談企画のため、2009年11月ごろに当時の勝部神社松明組高田組長にお会いしたのがきっかけでした・・・。本当に熱心にお誘いいただいて松明組に参加したのですが、今となっては心からそのことを感謝しています。
「勝部の火まつり」や「松明組」については、過去に何度もこのブログで触れているので、それをご覧ください。

今週の土曜日にその「火まつり」が開催されるのですが、私もはや5度目の参加。
1年目に泥酔して多数の方にご迷惑をおかけしたこともあり、以降は少しでもその挽回をできれば、という思いで活動してきました。
松明組は13歳(中学1年生)~34歳卒業ということで、今回で私は卒業の年齢となります。

私の世代が私を含め3名しかいないのもあり、今回、私は副組長の大任をいただきました。
無論、人材不足ということもあるのですが、先日の新年会で、後輩から「石上さんのような外の方が入ってきて、刺激をいただいたり、勉強になりました。」といっていただけたことや、なんだかんだ荒くれ者揃いのメンバーが私を認めてくれたというのは、この守山に来て本当に嬉しい出来事の一つとなりました。

若い子を含めると約70名の大所帯なので、年に数回しか会わない子もいて、最近ようやく顔と名前が一致するようになってきました。
(こういう仲間って本当に楽しいなぁ。)と思い始めた矢先に卒業というのは寂しいとも感じている半面、三役になるとこの祭りの前後12月~1月にかけて、仕事を休まねばならないときも多々出てくるのでほっとしている気持ちもありました。

ところが・・・。
これは伝統行事の継承でどこでも問題になっていることですが、人材不足という難問が発生しました。
実は私の一つ下の世代が一人もいないのです。
この1年、二つ下の世代がやるのかどうするのか、皆で議論してきましたが、つい先日結論が出ました。

私の世代3名が1年残ることとなりました。
2年前の800周年のときや、特例中の特例を除いて、35歳が3名も残るというのは、おそらく800年の歴史で史上初のことです。

基本的に松明組の組長は世代に一人しかでません。
もちろんやりたい人が立候補してやるのですが、複数いる場合は話し合って、周りの意見も聞きながら・・・。
ですから過去、一つの世代に10人とかいた時代は、組長をやりたくてもできなかった人が多数いたはずです。

私の世代の私以外の二人は、家が隣同士という幼馴染で、いつのころから役割分担ができていて、一人が組長でもう一人が補佐という位置づけはいつのまにか決まっていたようです。
ところが、今回の決定で、次年度は二人の役割を交代して、やることが決定しました。
つまり例年なら、組長になれなかった人が組長となるのです。
私や現役世代の組員は、この事実を好意的に受け止めています。
本人も「できるなら、喜んでやる!」という姿勢ですし、我々世代が残らなければ、下の世代への負担が増すからです。

ただこの一件は様々な問題を孕んでいると思います。
特に今年の組長経験者がもう一年残るということも、彼自身のモチベーションとして難しい部分があります。

「勝部の火まつり(松明祭)」のフィナーレは、毎年1月第2土曜日の20時半頃に訪れます。
フィナーレの瞬間とは、「火受け」と呼ばれるその年二十歳になる若衆が、12基の大松明に点火し、炎が燃え盛る、たった5分~10分程度。
この瞬間のために丸一年、様々な準備をするのです。
毎年、この瞬間、涙を流す組長や先輩方を見てきました。
私も今年になってその気持ちがよくわかります。
今でも泣きそうです。

ホタルも桜もそうですが、美しくなるために時間をかけて、でも美しい瞬間はほんの一瞬・・・
というのが、いいんでしょうね。
まして、自分がトップとしてやれるのは一生のうち、たった一回きり。
この儚さが、800年続く伝統の秘密なのではないでしょうか。


「火まつり」は皆さまのご祈祷料(寄付)で成り立っています。
これも組員自らが仕事の合間に個人様や企業様を回って頂戴しています。
手元に資料があるのですが、昨年実績でざっと
勝部町内個人様300件100万円
町外個人様170件50万円
企業様150件80万円
の計230万円いただいています。
これも年々減ってしまっています。

もしご理解いただける方がいれば、いくらでも結構です、ぜひご祈祷料をお願いします。
ちなみにこれは神社の会計とは分けていますので、神社にて賽銭やお守りという形で払われても、私たち松明組には渡りません。
私たちは神社の下部組織でありながら、お金をいただいて活動するのではなく、お金を納めて活動しているのです。
これも長い歴史の中でいろいろあったのでしょうが、個人的には非常に不思議な伝統です。

火まつりは今週11日土曜日です。
またそれまでにこのブログの中で触れるかもしれません。


毎年、年始は1月2日から始動。神社にて「雨上げ式」といって、当日の晴天を祈る儀式を執り行います。  

Posted by みらいもりやま21 at 09:38Comments(0)松明組