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Posted by 滋賀咲くブログ at

2018年06月03日

防火管理者

6月に入りましたね!6月といえばジューンブライドですね!早速昨日親友の結婚式に参加してきました(^^)
この年齢になると結婚ラッシュで何度も結婚式に呼んで頂き、毎回友達によって結婚式の色があって毎回たくさんの幸せを分けてもらえます!特に両親への手紙は毎回涙です。次の結婚式も楽しみです!
原田です★

先日#防火管理者の講習を北消防署で受けてきました。
みなさん防火管理者を担当されたことありますか。
座学を中心に火事が起こった場合の消火栓や消火器の使い方を教えてもらい、災害例として震度7の地震を体験させてもらいました。
これが震度7を疑似体験しているときです。

予想以上に揺れて、途中から立ってられなくなり勝手に体が飛び跳ねてとても怖かったです。
避難訓練は小さいころから学校や会社でもしていましたが、消火器や消火栓の使い方は初めて習いました。
当たり前のことですが火事が起こらないようにすること、そして起きた場合は冷静になって対応することの重要さを実感しました。
そんなこんなですが、先日朝に味噌汁を作って慌てて家を出て通勤中に車を運転しながら火を消したっけな・・・?とソワソワしました。結局近所の人に連絡をして確認してもらったところ火は付いてませんでしたが、ずっと冷や冷やでした。このように何かあったとき助けてもらえるご近所さんにはいつも感謝です。みなさんも火の扱いには気をつけてください。

そしてとうとう梅雨本番ですね。そして紫陽花の時期ですね。私は花の中で一番紫陽花が好きです!6月もどんな毎日を過ごせるか楽しみです!

#防火管理者 #ジューンブライド #6月 #梅雨 #紫陽花

  

Posted by みらいもりやま21 at 15:00Comments(0)原田

2018年06月03日

異説:宇野宗佑その1


6月2日市民ホールで、演奏家デビューを果たした訳ではありません、石上です。

「旅への誘いコンサート」というシリーズで、クラシックの若手アーティストの演奏の前座で、中山道守山宿に関する情報をお伝えするという企画。
今回は「守山宿・町家・うの家」がテーマということで、私が8分間のお時間をいただいて参りました。
その後、舞台裏でお美しいお二人のコンサートを堪能させていただきました。




前座の8分間で何を話したかと申しますと・・・

去る2018年5月19日は、宇野宗佑先生の没後20年でした。私は残念ながら生前の宇野先生にお会いしたことはないですが、守山のみならず湖国の恩人かつ英雄たる宇野先生についてもっと関心を持ち、尊敬の念を持つべきだと常々思っています。

さて来年、平成から年号が変わることが話題になっています。
1989年=平成元年 様々なことがあった年でした。※弊社のかわいい新入社員3名は全員平成以降生まれなので、まだ生まれてもいません。
守山では1月8日に予定されていた勝部の火まつりは前日の昭和天皇崩御を受けて急遽中止(記録にある限り、史上初めて)。
1月4日の大発会で付けた株価30,166円は、12月28日の大納会で38,915円のピークを迎え、世は好景気に浮かれます。まさにバブル景気真っ盛り。

4月25日竹下登内閣が総辞職します。これを受けて後継として
6月3日宇野宗佑内閣が誕生。
7月23日第15回参議院議員選挙(自民党が143議席から109議席に減らし、単独過半数を割る大敗)。
翌24日宇野宗佑総理退陣表明。

という歴史。6月3日に総理に就任して7月24日(奇しくも私の10歳の誕生日・・・どうでもいいですが)に辞職を明言。
公式には8月8日の海部総理就任までの69日が在任期間とされていますが、実質52日間。何ができますか、カルロスゴーンだって、孫正義だって、52日間で何かを成し遂げたと思いますか?ハリルホジッチにだって3年間の猶予があったんです。一国の総理を52日で評価すること自体、ナンセンス極まりない。

しかも、これにはもっと深い闇があります。
そもそも宇野先生が総理になれた(総理をさせられた)きっかけの大事件があります。
前年(1988年)に発覚した「リクルート事件」。
もりかけなんてお話にならない、超大事件。結果的に立件には至らなかったのですが、未公開株を受け取り利益供与があったとして、時の竹下登総理、中曽根前総理、宮澤副総理(兼大蔵大臣)、安倍晋太郎自民党幹事長(現総理のお父上)、渡辺美智雄自民党政調会長ら錚々たる面々の名前があがりました。
この事件は、自殺者(竹下総理の秘書)を出すほどの騒動となり、結果、竹下内閣は総辞職に追い込まれます。
これだけではなかったのです。
今では当たり前になった消費税(3%)の導入が1989年4月1日。

金まみれ政権が、消費税の導入まで行った。
世論は怒るに決まっています。内閣総辞職なのか、解散総選挙か。
今は衆議院選挙をやるタイミングでないと判断した、竹下総理&自民党中枢の判断は総辞職。
その先に当然、夏の参議院議員選挙を見据えていたでしょう。
誰が受けますか?野球で言えば、10対0で負けているくらい負けが確実、敗戦処理投手というやつです。
宇野先生はもちろんよくよくわかっていたはずです。
残念なのは、どういう心境でお受けになったのか先生にお聞きできないこと。


タイミングよくというか、まぁ最近流行りの文春砲と同じで、ネタ(お金)にできるように隠し持っていたとしか思えないようなタイミングで赤坂あたりの芸者さんが、3本指を立てた宇野総理に「30万で俺の女にならないか」と言われたなどと言った、総理の品格としてどうか、などと鳥越俊太郎編集長の「サンデー毎日」がすっぱ抜く訳です。当時、国内のマスコミはこれを黙殺したと。当然だと思います。「だから何?」と。今これを見る人々は「なんてはしたないことを」と思われるかもしれませんが、日本という国はつい最近まで一夫多妻、第二夫人、第三夫人、もしくは妾を持つのが当たり前の文化を持つ国だったのです。それにより、徳川15代がなったのですから。
ただタイミングが悪かった、折しも1985年の男女雇用機会均等法、バブル景気による女性の社会進出、特にアメリカでは日本より数倍それが進んでおり、アメリカがそのことを問題にした。そこに選挙において、「マドンナブーム」が巻き起こり、土井たか子さんが大活躍する訳です。

正直、宇野先生の人柄を知る限り、また近しい方のお話を聞く限り、彼は芸者を金で囲うような方では決してなく、ユーモアとウィットに富んだジョーク(最大の賞賛)を芸者に贈ったとしか思えないんです。彼ほど、俗世の欲望から程遠い人を私は他に知りません。金にも出世にも欲がない。だから白羽の矢が立ち、総理になった訳ですが、どう考えても汚名を着せられたとしか思えないのです。おかげで当時の自民党は矢面から逃げられました。

女性スキャンダルなんて、選挙の勝敗には全く関係ないですよ。この超逆風の中、誰がたった52日で選挙に勝てますか?
誰であったって惨敗してるに決まっています。この敗戦処理投手は、後の自民党政権が悪影響を引きずるような人ではダメだったのです。
汚名を全て被り、気持ちよく負け、全ての責任を負ってくれる人が必要だったのです。
https://youtu.be/c5HB3r2BKNQ
(1:10付近・・・「こうした敗戦の一切の責任は私にあります」)
いや、ありませんから!
全てわかっていて引き受けた先生を思うと、悔しくて悔しくて。
何より、それをわからず、いやわかろうともせず、先生を誇りに思わない守山の人、滋賀県の人にもっと先生のことを考えて欲しいと。

この政権及び次の政権が所詮繋ぎでしかなかった証拠に、直後の海部俊樹総理は金竹小(金丸、竹下、小沢)の傀儡政権だったと評価されており、高い支持率であったにも関わらず、自民党内部の圧力により解散に追い込まれています。
その後にリクルートのほとぼりが冷めたと宮澤総理が誕生するのですが、結局国民は欺けず、彼を最後に自民党55年体制が崩壊します。


宇野先生の退陣表明の言葉は語り草です。
「明鏡止水の心境です」
スキャンダルで辞める人の言葉では決してありません。
直訳では
「一点の曇りのない鏡や、波がなく静止している水のように、心にわだかまりなく、ありのままに物事を捉える澄み切った心境」
これでは浅い。彼ほどの知識人がこの程度のことを伝えていたとは私は思いません。

明鏡止水の由来は、「荘子・徳充符篇」にあります。
ベストセラー作家であり、数え切れない名句を残された先生がこの由来を知ることなく、この言葉をおっしゃった訳がありません。
荘子の言った明鏡止水とは
「静かにたたえた水のように何事にも動じず、外見だけで判断したりせずきちんと本質を見抜く」という意味なのです。
これは正に私ども後世の者に先生が残してくださった言葉だとは思いませんか。
他者のくだらない評判、評価に踊らされることなく、本質を見抜きなさい、と。

クラシックコンサートの前座に生臭い政治の話をしてしまったことをお詫びします。
今回、いい機会をいただきまして、やはり故郷の英雄である宇野先生をもっと知ってもらうべきだと確信しました(反応は知りませんが)。
これからはことあるごとにこのようなお話をさせていただこうと密かに決心した次第です。
名誉の為に付け加えますが、元書生である弊社社長を含め、宇野先生のお近くに仕えておられた方々からはこのようなお話、一切聞かされておりません。
彼らは宇野先生の明鏡止水の心境という言葉を汚すことなく、今も彼の功績を誇ったり、彼のその見方によっては不遇な政治人生を嘆いたりすることなく、現実をありのままに受け入れておられます。だからこそ、私のようなヨソモノが宇野先生の名誉を取り戻さなければならないと心底思うのです。


守山市民のどれだけの人が、市民ホールに佇む先生の像を知るのか・・・


法要で20回忌はありませんが、先生の23回忌が守山市制50周年と重なるので、なんとかそのときに先生の名誉回復を。  

Posted by みらいもりやま21 at 12:03Comments(0)つぶやき