2010年01月08日
清め式
いよいよ火祭り本番が明日(土曜日)に迫りました。
今日は、組員全員で清め式。
勝部神社で清めていただきました。
勝部神社の本殿は1497年に六角高頼の寄進により完成しています。
次男の六角定頼の名は、戦国好きな方なら一度は耳にしたことがあるでしょう・・・。
1497年というと、応仁の乱後で、いよいよ本格的な戦国時代に突入していった時代。
本当に歴史ある建造物です。
戦後、国の重要文化財に指定されています。
ちなみに火祭り(松明祭)は県選択無形民族文化財です。
本殿が建ったのは、まだたった(?)500年ほど前なのですが、神社の歴史は遥かにさかのぼります。
勝部神社は、戦前「物部神社」と呼ばれていたそうです。
この付近は、粟太郡物部村という地域に属します。
649年、物部氏一族とされる物部宿彌広国が創建したのが始まりとされています。
物部氏一族jは、587年蘇我馬子との権力闘争に敗れ、当主物部守屋が殺害されて以来、没落の道を辿りますが、一部各地で姓を変え、生き残ります。
余談ではありますが、その中の一つに石上(いそのかみ)氏もあります。奈良には日本最古設立の神宮「石上神宮」も存在します。
祭りの歴史
時は土御門天皇の御世。(在位1198-1210)
※ちなみに先日の嵐山編「高倉天皇」は祖父にあたります。父は後鳥羽天皇(後に後鳥羽上皇として承久の乱を起こします)。
天皇がご病気になられた際、原因は三上山の大ムカデとされ、藤原秀郷が放った矢により、大ムカデは
頭が住吉神社
胴体は勝部神社
に散らばったそうな・・・。
この死骸はそれぞれの地で供養されました。
現在も、勝部と同時に住吉の火祭りも同日に行われています。
先日、苦労して作った長さ5m、重量400kgの12基の巨大な松明はその大ムカデを表しているそうです。
火祭りというと、この松明に火がつく一瞬のみに注目しがちですが、我々松明組の活動は当日18時頃からスタートしています。
1~3番までの三つの太鼓を持ってそれぞれ三方向に分かれ、町内を練り歩くのです。
私が属する1番太鼓は守山駅前まで行くとのことで、昨年、夏祭り・冬ほたる・緑創会などの活動でお馴染みになった駅前緑地公園前をふんどし一丁でお邪魔するのが楽しみでなりません。
火祭りは興味あるけど、勝部神社まで行くのはちょっと・・・という方も、当日19時前後に駅前(セルバ側)までお越しいただければ、太鼓を担いだふんどし姿の我々をご覧いただけます。
OB会長いわく、この太鼓は町内を回って悪いものを吸収するそうです。
そして、町内を一周し、勝部神社内に奉納するまでは、決して地面に置いたり、音を鳴らすようなことがあってはならないとも厳命されています。
掛け声は御脳平癒を意味する「ごーよ!ひょーよ!」。皆さんもご一緒にどうぞ。
この火の粉を浴びて、1年間の「無病息災」を願いましょう。
Posted by みらいもりやま21 at 00:03│Comments(0)
│守山イベント