2014年08月07日
2014年8月7日石上
とあるお方から最近更新してないじゃない?とお声かけいただけたので。
最近というか、ここ数年ついつい更新を怠りがちで、楽しみにしてくださっている方、本当にすいません。
ネタはたくさんあるんです。
長文になりますがどうぞお付き合いください。
8月7日(木)朝 あまが池親水緑地
最近、何をしているかというと専ら水やりです。
実は昨年、水不足と、忙しさにかまけての水やりのさぼりで、かなり親水緑地の木々が弱りまして・・・・。
今年は朝7時までには出勤して、水やりを頑張っているのです。
最近というか、ここ数年ついつい更新を怠りがちで、楽しみにしてくださっている方、本当にすいません。
ネタはたくさんあるんです。
長文になりますがどうぞお付き合いください。
8月7日(木)朝 あまが池親水緑地
最近、何をしているかというと専ら水やりです。
実は昨年、水不足と、忙しさにかまけての水やりのさぼりで、かなり親水緑地の木々が弱りまして・・・・。
今年は朝7時までには出勤して、水やりを頑張っているのです。
8月5日(火)草津
ニワタス、いよいよオープンしましたね~。
早速「ミソラテラスイタリー」を利用してきました。
たまたま、弊社もお世話になっているかがり司法書士の太田先生がいらっしゃって、聞けば、ここの大道オーナーとは昔からの親友だとのこと。店の料理も文句なしでした。
残念なのは、隣にいた男性客の下品さ。
公共の場で、しかもあれだけオシャレな店で、放送禁止用語を大声で連発するのはやめてほしいものです。
しかも自分が所属する団体名を連呼しちゃって・・・。あれじゃ「修練」「奉仕」「友情」の三つの信条が泣いてますよ。もっと品格をもってください。
8月2日(土)あまが池親水緑地
trip table(トリップテーブル)
シェマシェリ主催で、開催されました。
昼間はこんな雰囲気ですが、
夜になると・・・
すごくいい感じで、これからも季節ごとに継続していくということでお楽しみに。
今週土曜日は、「オーガビックビアガーデンパーティ-」
台風さえこなければですが・・・。
7月27日(日)浦谷邸
浦谷邸で楽しんだ流しそうめん。
なんてことはないんですが、これ盛り上がるので、一度あまが池2階デッキから流してみたいな~なんと考えてます。
まぁいずれ・・・。
7月26日(土)あまが池プラザ
恒例になりつつある「あまが池お化け屋敷」、今回もえげつなかったです。
昨年の反省をもとに建物前にコーンやテープで、USJ的な整列してもらう場所を設けました。
ピーク時には300人90分待ち。結果900名超の方が訪れました。
チームmegaとものづくりネットが言ってくれてるので、来年も夏まつり当日は実施すると思いますよ。
7月19日(土)馬路磯部神社付近
ご近所の下田さんからお声かけいただいて初めてボランティアスタッフとして参加させていただいた、吉身東町の鮎つかみ。
手づかみした鮎を
その場で焼いて食す。
すごく大切なことを色々と学べる場で、これをもう5年も継続されている吉身東町自治会と、同子ども会には頭が上がりません。
あまが池でもやりたいですが、これ本当に大変です・・・。
7月18日(金)中小機構近畿本部(大阪)
第18回近畿中活ネットワーク研究会。
広場ニスト山下裕子さんのお話。
大変参考になるお話でしたし、コーディネーター若狭さん最高でした。
7月16日(水)チカ守山
恒例となりつつあるMEL。
商店街の鉄人工房マツヤの松谷さんがスピーカー。
非常に面白い切り口で話してくださいましたよ。
次回は8月20日(水)18時30分~ 松田保先生。
次々回は9月17日(水)18時30分~ 清原会頭。
お楽しみに!
7月8日(火)市長室
最近朝日新聞の販売店さんが作ってくださったミニコミ誌「もりやまみらい」新聞。
完成記念に宮本市長を子ども記者たちが表敬訪問。
子どもたちのその知識と好奇心に驚嘆です。
7月3日(木)あまが池プラザ
滋賀県7市のまちづくり会社(あるいは準備室)で、滋賀まちづくり会社フォーラムを発足させました。
来週か再来週の「滋賀経済NOW」でも取り上げてくださいます。乞うご期待。
と、ここ一ヶ月の動きです。
最近のグルメ報告。
築地 すしざんまい
福生 デモデダイナー
でもやっぱりラーメンがすき!
バリバリジョニー
なんつっ亭
またまた、麺や結
体重増加気味なんで自重したいと思います。
まだ続くよ・・・
ここから下は石上の独り言です。
まちづくり会社や守山市は一切関係ありません。
怒られたら、削除すると思います。
ゼンショー(すき家)をはじめとしたブラック企業叩きが流行っています。
私は周りに経営者の先輩や友人が多いせいか、少し最近の風潮に疑問を感じます。
それまでも引っ越しやピザの宅配のアルバイトなどはしていましたが、私が19歳のときに入ったジャンボカラオケ広場寺田町駅前店(当時)というバイトは、私の人生に多大な影響を与えました。
店長は超武闘派(高卒20代前半)。副店長は元ホスト。でも前歯がシンナーでボロボロ(中卒19歳!)。
生野区というまちの特性もあってか、従業員への暴行、客同士の喧嘩、無銭飲食等、トラブルの絶えない職場でした。そんな中で、店長がアルバイトを殴ったりするもんですから、常に人員が不足していて、夏休みのくそ忙しいときに「すき家」でいうワンオペ(バイト一人ですべての業務をこなす)も当たり前でした。
スパルタで店長は本当に厳しい人でしたが、きちんと頑張っている人を評価する人でもありました。
これは会社の考え方でもあって、当時まだ関西に30~40店舗程度だったとはいえ、ジャンカラの飛ぶ鳥を落とす勢いの秘密はその実力主義の評価制度にあったのだと思います。
学歴もなく、社歴が長いわけでもない人が店長、副店長と昇っていける会社だったのです。
こんな会社で2年もアルバイトとして関わるうちに、色々なご縁もあって、社員として働くことになりました。
有難いことに入社して1年ほどで店長にしていただいて、当時全店(約80店舗)最年少店長だなんてよく自慢していました。
このジャンカラ、店舗によりますが、朝10時オープン、翌朝6時閉店が普通です。
大型店の例外はありますが、一つの店に社員と呼ばれる正規雇用者は1人or2人程度。
あとはチーフと呼ばれるアルバイトリーダーと交代で、金庫や店のカギを管理しています。
すなわち店が営業している10時~翌6時の時間帯に常に社員かチーフがいなければなりません。
売上の取れる夜間帯に店長がいないなどというのはもってのほかという考え方でした。
私の日常は、16時店舗に到着、書類業務や日課をこなすうちにB勤(18時~23時)と呼ばれる売り上げピーク時間帯のアルバイトたちが出勤してくるので、朝礼をおこない、そこからフリータイムのラッシュが終わる深夜1時頃まではあっという間です。そんなに余裕人員があるわけでもないので、自ら受付をしたり清算をしたり、配膳業務も行います。で、一番多いのはトラブル対応。
朝6時に閉店して各部屋の掃除なんかが終わって、お金を数えるのは朝8時頃で、銀行にもっていって、家に帰るのはだいたい朝10時。
勤務中にご飯を食べる時間などはないので、家に帰ってご飯を食べて倒れるように寝たらすぐに起床時刻の15時。この繰り返し。
1日16時間勤務の18時間拘束。当時確か店長給料が25万プラスインセンティブで、残業代は当然なし。
「俺の給料、時給換算したら、今月は700円切ったぜ!」なんて、店長同士で長時間労働自慢してたので、月300時間労働をこなしている社員はたくさんいました。
公休とよばれる休みの権利も月6日ありましたが、きっちり6日間休みをとっている店長なんて稀でしたし、そもそもお店に定休日がなかったので休みだろうが寝ているときだろうが、電話はかかってきます。
特に「店長だせや!」っていうトラブルは週に1回程度、必ずあって、中には「社長だせや!」なんて人もいる始末。
ラインとしては「店長→エリアマネージャー→営業課長(1課~4課)→営業部長→社長」
とあるわけですが、当時のイチ店長にとって営業課長すら雲の上。社長と対面したことがある店長なんてごくごく一握り。
エリアマネージャーが優秀な店長上がりの人ばかりですから、それ以上の上の人が出るなんてのは、本物(暴力団)が登場したときくらいのものです。店長にとって、上のエリアマネージャーを出すことほど恥ずかしく、存在意義を問われることはないわけで、私なんかは何があっても自分で解決するように努めていました。
「今日、僕休みです」なんてこと、言える世界じゃないのです。
長々と何が言いたいかというと、当時つらく苦しい思いもしたけど、本当に良い経験だったということです。
当時苦しかったときに30代の上司が
「20代のうちに無理をしておけ。そうしないと30代、40代で絶対に無理はできない」
と教えてくれました。これ、いまでいうとパワハラなんですけど、本当に良かったと思います。
当時、ブラック企業なんて言葉なかったですし、今思えば間違いなくブラック企業なわけですけど、本当に会社が好きでした。
私が入社して丸3年でめでたく100店舗を突破して、関西ナンバーワンカラオケ店となりました。
そこからはやたらに「コンプライアンス」を唱え出して、売上至上主義から転換しました。
今までイケイケだった人が粛清され出したのです。
そのころ、一緒に頑張っていた人は次々起業するか、よその会社へ移っていきました。私も例外ではありませんでした。
今でも当時の仲間と集まるといい思い出話として、盛り上がります。
間違いなく言えるのは、この会社の文句いってやめて、成功したなんて話は聞かないし、どの企業だって多かれ少なかれこうだったんだろうと思うのです。
今みたく、ネットに知識が氾濫して、少し調べた一般人が法律を振りかざす時代が、若い人たちにとって果たしてプラスなのかと疑問に感じます。
ゼンショーのオーナー(吉野家勤務)だって、和民のオーナー(佐川勤務)だって、私のように労働者(雇用される側)だった時代はあって、そこから這い上がった人を否定することは、我々労働者にとって、今後這い上がることを諦めることになるのではないかということです。
私は今でもジャンカラの当時のやり方を肯定します。
ゼンショーや和民にも私のように努力して這い上がった(または這い上がろうとしている)社員がいるはずです。
彼らの会社をブラックと一括りにしてしまうこと自体、彼らのように頑張っている人を馬鹿にし、否定することになると私は思います。
当時、頑張った人はどんどん昇っていったし、文句ばかり言ってやめる人は負け犬でしかなかったのです。
時代が変わって価値観が変化してしまうのはやむを得ないとしても、頑張ろうとしている人、頑張っている人を否定するべきではないと思います。
最近の若い人には野心がない、覇気がないといわれます。
サトリ男子だなんて言葉ができるくらいです。
でもそうでない人もたくさんいるはずです。
這い上がるチャンスを掴もうとして、そういうイケイケな会社に入ったり、自ら起業してみたり。
若い人が希望を持てる日本という国であってほしいものです。
Posted by みらいもりやま21 at 11:26│Comments(0)
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