2010年01月02日
鹿苑寺
あけましておめでとうございます。
最近、すっかりこのブログを私物化してしまっていたのですが、きっちり2009年を弊社社長が締めてくれました。社長ありがとうございます。
今年は昨年以上に龍馬がごとく翔んでいきたいと思います!
さて、年を跨いでしまいましたが、12月27日に敢行した京都巡りの続きでございます。
朝、東寺を訪ね、四条河原町の老舗志る幸前の古高俊太郎石碑に合掌した後は、一路、北へ・・・。
大文字山のすぐ南側にある通称「金閣寺」、鹿苑寺へ。
そういえば、途中、私が卒業した高校がある北野白梅町を通ったのですが、ここには、いまどき珍しい路面電車の京福電気鉄道北野線(通称;嵐電)北野白梅町駅があります。
実はこの駅で、井筒監督の作品で、あのエリカ様の出世作になった「パッチギ」のワンシーンが撮られています。
パッチギというと
昨年亡くなった京都伏見出身の加藤和彦さんが音楽監督を務められています。
また、ROOKIESでブレイクした高岡蒼甫(宮崎あおいの旦那さん)だったり、
ほかにも、オダジョー、真木よう子、小出恵介、加瀬亮、尾上寛之
などなど、この作品以降ブレイクしていった俳優さんが多数出演しています。
話が逸れました。
その北野白梅町駅から、西大路通り沿いに約1kmほど北上すると、「金閣寺前」という交差点があります。
そこを西に折れ、100mほどで金閣寺駐車場に到着です。1時間までなら300円。観光バスがたくさんとまっていましたが、ここも待つことなく入れました。


室町幕府第3代将軍足利義満の法名にちなんで名付けられたこの鹿苑寺は
京都にある17の世界遺産の一つです。
元は鎌倉時代に藤原(西園寺)家が所有していたものを、義満が譲り受け、修復します。
その後、応仁の乱の戦火により、大半が焼失するも、江戸時代に再建、修復されます。
1929年に国宝に指定されますが、
1950年、三島由紀夫も小説化した「金閣寺放火事件」により焼失、国宝を解除されてしまいます。
1953年から3年かけて再建されましたが、10年ほどで金箔が剥げ落ちてしまったため、
1986年から1年8ヶ月に渡り、7億4千万円をかけて昭和大修復が行われました。
1994年に世界遺産の指定を受け、現在に至ります。
参拝料400円を支払い(五重塔と違い、外からは見えません)、中へ入るとすぐに見えてきます。

太陽の光を浴びて、神々しいまでに輝く鹿苑寺金閣です。

手前の池は、鏡湖池(きょうこち)といいます。なぜかって・・・

見事な逆さ金閣です。
周りを見渡すと、観光客でごった返しています。特に外国人が多い。
東寺の方が、国宝・重文の数は勝るのですが、この違いはやはり、見た目のインパクトにあるのでしょうか?



角度を変えても素晴らしい。

後ろから見るとよくわかるのですが、金閣は3層構造で、金箔が貼られているのは2・3層のみです。

雨樋にまで、貼るとは・・・・。




茶室夕佳亭(せっかてい)

不動堂・・・宇喜多秀家(五大老の一人)が再建したといわれ、境内で最も古い建物です。

当然のごとく、土産物も立ち並んでいます。
アイデアとしては良いのでしょうが・・・・


最近、すっかりこのブログを私物化してしまっていたのですが、きっちり2009年を弊社社長が締めてくれました。社長ありがとうございます。
今年は昨年以上に龍馬がごとく翔んでいきたいと思います!
さて、年を跨いでしまいましたが、12月27日に敢行した京都巡りの続きでございます。
朝、東寺を訪ね、四条河原町の老舗志る幸前の古高俊太郎石碑に合掌した後は、一路、北へ・・・。
大文字山のすぐ南側にある通称「金閣寺」、鹿苑寺へ。
そういえば、途中、私が卒業した高校がある北野白梅町を通ったのですが、ここには、いまどき珍しい路面電車の京福電気鉄道北野線(通称;嵐電)北野白梅町駅があります。
実はこの駅で、井筒監督の作品で、あのエリカ様の出世作になった「パッチギ」のワンシーンが撮られています。
パッチギというと
昨年亡くなった京都伏見出身の加藤和彦さんが音楽監督を務められています。
また、ROOKIESでブレイクした高岡蒼甫(宮崎あおいの旦那さん)だったり、
ほかにも、オダジョー、真木よう子、小出恵介、加瀬亮、尾上寛之
などなど、この作品以降ブレイクしていった俳優さんが多数出演しています。
話が逸れました。
その北野白梅町駅から、西大路通り沿いに約1kmほど北上すると、「金閣寺前」という交差点があります。
そこを西に折れ、100mほどで金閣寺駐車場に到着です。1時間までなら300円。観光バスがたくさんとまっていましたが、ここも待つことなく入れました。


室町幕府第3代将軍足利義満の法名にちなんで名付けられたこの鹿苑寺は
京都にある17の世界遺産の一つです。
元は鎌倉時代に藤原(西園寺)家が所有していたものを、義満が譲り受け、修復します。
その後、応仁の乱の戦火により、大半が焼失するも、江戸時代に再建、修復されます。
1929年に国宝に指定されますが、
1950年、三島由紀夫も小説化した「金閣寺放火事件」により焼失、国宝を解除されてしまいます。
1953年から3年かけて再建されましたが、10年ほどで金箔が剥げ落ちてしまったため、
1986年から1年8ヶ月に渡り、7億4千万円をかけて昭和大修復が行われました。
1994年に世界遺産の指定を受け、現在に至ります。
参拝料400円を支払い(五重塔と違い、外からは見えません)、中へ入るとすぐに見えてきます。

太陽の光を浴びて、神々しいまでに輝く鹿苑寺金閣です。

手前の池は、鏡湖池(きょうこち)といいます。なぜかって・・・

見事な逆さ金閣です。
周りを見渡すと、観光客でごった返しています。特に外国人が多い。
東寺の方が、国宝・重文の数は勝るのですが、この違いはやはり、見た目のインパクトにあるのでしょうか?



角度を変えても素晴らしい。

後ろから見るとよくわかるのですが、金閣は3層構造で、金箔が貼られているのは2・3層のみです。

雨樋にまで、貼るとは・・・・。




茶室夕佳亭(せっかてい)

不動堂・・・宇喜多秀家(五大老の一人)が再建したといわれ、境内で最も古い建物です。

当然のごとく、土産物も立ち並んでいます。
アイデアとしては良いのでしょうが・・・・


